インターネットと多重人格、そしてFacebook日本上陸

なんといってもtwitterが面白い。始めてまだ1年ちょっとなのだがすっかりハマってしまった。
開始した当初はあまりにシンプルなUIのため、「なにをしたらいいの?」という疑問ばかりでつぶやいても、タイムラインを眺めていてもさっぱりその面白さが分からなかった。
ツイ歴1年で分かったようなことを言うのはアレなのだが、twitterはタイムラインに現れるつぶやきがみんな一人称で、それぞれが発信した言葉―情報を「フォロー・フォロアー」という関係性の中で共有し、またリプライやDMでそれぞれが交流できるところに面白みがあるのだと思う。
twitterのサービスの草案は「ショートメールほどの文字数でリアルタイムに仲間同士の状況が把握できるサービス」であった。
その時々のユーザーの状況や思っていることを短文で投稿、閲覧するというサービスの概要から「ミニブログ」とも呼ばれる。
確かにそういう意味では「ミニブログ」と呼べるが、上記のような関係性からゆるいつながりが持てるため、SNSの一種だと自分は思っている。
Web上でそれぞれのユーザーが情報を発信し、それを共有したり互いに交流を持つことができるソーシャルメディアがインターネットを使ったサービスとして主流になっていることは間違いない。
ここでいうソーシャルメディアとはWeb掲示板ブログウィキペディアソーシャルブックマークSNS、そしてtwitterUstreamなどを指す(自分的に)。


ところでかなり前から感じていたことなのだが、使用するインターネットサービスごとにユーザーとしての人格が解離しているという現象が見受けられる。実際ネットユーザーのほとんどが当てはまると思う。
ユーザーがネット上では違う人格になるというのは2ちゃんねるの登場によるものだと思われる。
特に黎明期の2ちゃんねるは完全に匿名性が保たれていたのでレスを読む側にとって投稿主の人格の非同一性などに興味はないし、投稿主自身が無意識のうちに解離して書き込んでいたに違いない。
いつぞやにテレビで”匿名掲示板”の特集をやっていたが、ユーザーが「スレや板ごとに10個以上の人格を使い分けている」とインタヴューに答えていた。
2ちゃんねる内だけでネット解離は起こってしまうのである。そしてそれの尺度を上げるとソーシャルメディアのサービスごとにネット解離が起こっていることに気づく。
それぞれのサービスには暗黙の了解(明示してあることもあるが)や、独特の文化、集団心理のようなものがあり、ユーザーはそれらに追随しているうちに解離してしまうのであろう。
つまり、”2ちゃんねるの私””mixiの私””ブログの私””twitterの私”が知らず知らずのうちにできてしまっているということ。ただし、ここで同一性は損なわれない。なぜなら解離を起こしているのがインターネットというバーチャルの世界の中であるから、同一性はリアルの世界の中で保たれているのだ。インターネットにハマってついにリアルでの同一性まで損なわれてきたらまず病院へいくかパソコンを粗大ごみに出すべきだ。
ソーシャルメディアとしてのインターネットサービスを利用して解離が起こるのは仕方のないことなのかもしれない。2ちゃんねらーと呼ばれる人たちは2ちゃんねるの中では2ちゃん用語?を使う。そうでないと2ちゃんねるに参加しても面白くないに違いない。


ただ、一つ面白い現象だなと思うのがさまざまなインターネットサービスで、ユーザーが2ちゃん用語を普通に使うことである。例えば笑いを表現するために草を生やす「wwwwww」、他に「なになにだお」「DQN」「ワロタ」「◯◯ですが何か?」「乙」マスゴミ」「◯◯厨」「ようつべ」「自演乙」、etc……
なぜ2ちゃん用語が2ちゃんねるの外でも認知されているのか。それは2ちゃんねるに存在するある意味閉鎖的な暗黙の了解や世界観、マナーなどが島国であり数百年も鎖国をしていたという歴史的背景をもつ我々日本人の集団心理と合致する部分が多いからではないだろうか。
それぞれ違うインターネットサービスにおいてなぜか2ちゃん用語が使われているならば、それは解離していても日本人のナショナリティを持っていると言っては大げさか。
逆に言うと、日本で流行し、定着したソーシャルメディアはあくまで日本仕様なのかもしれない。実情は知らないがtwitterの使い方、楽しみ方も日本と欧米諸国とでは異なると思う。


話がそれたが、では解離した自分ではなく、リアルの”私”と同一のまま参加できるソーシャルメディアはないものか。
そのサービスの特性からいってFacebookが該当するであろう。周知のことと思うがFacebookは原則実名で、ユーザー数が世界で5億人の最大のSNSである。元々はアメリカの学生専用のSNSであったが2006年に一般に開放。一気にユーザーが増えた。日本でも2008年にサービス開始。現在日本でのユーザー数は150万人を超えたあたりだという。世界的には先行していたMySpaceをわずか3年で追いぬいてしまった。
ところで自分もかつてMySpaceのアカウントを持ち、今Facebookにも参加している。私見ではあるがこの両者、どこか共通する違和感を感じるのだ。
それはUIがインターナショナルに対応していることなのか、欧米人仕様のいわゆる”大味”UIなのか、なにに起因するものかは分からない。
ただ、そのままだと日本では定着しない気がする。つまりさまざまな国の人達と共通する趣味や話題で交流し、情報を共有するスタイル。これは日本版Facebookを使ってみても日本人にはユーザビリティを感じられないのではないか。
先に書いたが日本でのFacebookユーザー数は150万人。一方mixiは今年2000万人を超えた。
Facebookはどうも日本での普及に本気で取りかかっているようだ。英語に興味がある人、外国の友達が欲しい人、海外に住んでる友達と簡単楽しみながら連絡を取りたい人、等には受け入れられるだろう。
けれど実際はあれだろ。

日本人は日本の友達同士でFacebook