ストレスフリーになろうよ!

自分はいわゆる社会人というものを都合15年ほどやっているのだが、年をかさねるごとに若かりし頃もっていた「大いなる夢」みたいなものが「現実」によって侵食されていくことを実感する。
特に自分の場合は「根拠なき自信」「どこから湧き出るのか不明の万能感」に突き動かされて学生時代にグループ・サウンドというか簡単にいうとバンドでいわゆるメジャー契約を獲得し、またその条件も悪くないものであったため根拠がないはずの自信を助長させる結果になったのである。
しかしやはり根拠のないものであり、つまり虚なることに自我の根っこのようなものを置いていたのは今となっては明白で、まあここには書ききれないが紆余曲折あって自分はそのバンドグループを脱退し、時間拘束の見返りに給与をいただくという一般的な社会人のスタイルを取ることで生計を立てることになったのである。
冒頭に書いたようにそれから約15年ほど立つのだけれども、多くの社会人の人が感じるであろうが、とにかく組織に属して労働するというシチュエーションには「理不尽」なことがセットになっていることが多い。
現在自分は仕事において理不尽、納得がいかない、なんでやねんこら的なことをぐぐっとがまんして同時にニコニコしたりして事を無きにしてクリア、なんて芸当をこなしている。
その結果どうなるか。
ストレスである。
「あなたのストレス発散法はなんですか?」なんてのがインタビューやアンケートに多いのはやはり社会の理不尽に溺れる人が多いからで、それを「バッティングセンターで1000球打つことです」「一般道を時速160?で走ることです」「万引きすることです」など人それぞれ様々であろう。
そういった様々なストレス解消法に共通しているのは鬱屈した日常を完全に忘れ、目の前のことに没頭し、テンションをアゲアゲにすることであると思う。
ところで自分は盆踊りというものをほとんどしたことがない。
それが10年ほど前だったか東京に居を構えていた時、友達や友達の友達や友達の友達が紹介してくれた友人などよくわからない集団で餃子パーティーを催し、満腹になったのち近所を散歩したのである。
その時実にいわゆるお盆であった。
で、僕が住んでいた杉並区というところは地域性が強く、町内会ごとに盆踊りを開催していたのである。
ちょうど餃子のあと散歩していたらすぐ盆踊りの一団に出会った。
みな、黙々と踊っている。
真ん中にやぐらが組んであり、なんとも言えない提灯の明かりに思わず酔いしれてしまった僕たちは主催者に無断で盆踊りにジョイントするかのようにして紛れ込んで踊り始めた。
演目は炭坑節であった。
一定の明かり。規則的な肉体的運動。延々と繰り返される音楽。
我々は完全にトランス状態にあった。
疲れを感じることなく場がお開きになるまで「掘って掘って〜〜」とか言いながら踊り尽くしたのである。つまりレイヴ体験である。
今思うと、あれは鬱屈した日常なと入る余地のないハイ・トリップ体験であった。
その感覚は今も忘れられない。
そのことを今日思い出して、そうか、仕事で辛い日は盆踊りでトリップに限るな、と思いついたのだけど凍てつく寒波襲来の中、盆踊りなどする機会は皆無だろうて一気に虚脱。